三菱兵器住吉トンネル工場(跡)

「三菱兵器住吉トンネル工場()」は、爆心地から2km、住吉町被爆遺構として公開されています。「三菱兵器住吉トンネル工場()は現存する被爆建造物の一つで、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期、三菱長崎兵器大橋工場からの疎開工場として、並列して6本のトンネルを掘り、24時間体制の交代勤務で、魚雷部品(航空機用)の製造を行っていたそうです。

原爆落下時、爆心地から約2.3kmに位置しているこのトンネル内での作業者は、辛うじて即死は免かれたものの、その多くが負傷。トンネル出入り口付近の人、トンネル外にいた人は殆ど強烈な爆風で爆死か重傷を受け、トンネル内は否応なく応急手当ての場所となったそうです。兵器大橋工場や他の工場、市民の人々が大勢避難して来て、負傷者で大混乱となり息絶えた人も大勢出たとの悲しい歴史があります。

トンネルは、通りからの案内に沿って下ると、安全に整備された、1号トンネル、2号トンネルが柵越しに見学できます。当時の状況などが、詳しく説明された掲示板が3か所に設置されています。トンネル内部の見学は事前に「原爆資料館への申込みが必要です。


 施行前の様子。6本のトンネルが見える(20078月)



トンネルの入り口に近づくと、ライトがトンネル内を照らします。1号トンネルに部品の生産が行われていた魚雷と同型のものが展示されています。2号トンネルでは柵越しに岩肌が見えます。