孫文を支えた梅屋庄吉

 中国辛亥革命の指導者・孫文と、彼を生涯にわたり物心両面で支援し続けた、長崎県出身の実業家・梅屋庄吉。その出会いは香港で共通の知人である英国人の医師ジェームス・カントリー博士を通じて出会ったといいます。

 このとき孫文29歳、梅屋庄吉27歳。若き日に誓いあった友情は、生涯続くことになります。辛亥革命とは、1911年辛亥の年に武昌に挙兵し、清朝を倒した中国の民主主義革命。

1912年1月孫文が臨時大総統に就任して共和党を宣言し中華民国が誕生した。しかし革命勢力は弱く、まもなく北洋軍閥の袁世凱が大総統となった。 

 若い時に誓った友情は、孫文の革命にかける情熱を知り「君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援する」という盟約を結んだ庄吉。

海外生活を経て日本に戻っ庄吉は、映画興行で莫大な財をなし、若き日の誓いを守って今日では1兆円ともいわれる破格の支援を行いました。

彼は一生をかけて、物心両面から、孫文を支え続けたのです。こうして孫文は辛亥革命を成功に導きました。

 

海を越えた二人の友情が長崎の地に育まれています。

11月は、孫文の生誕日や梅屋庄吉の生誕日、梅屋の妻・トクの命日であることから「孫文・梅屋庄吉友情の月」だとか、また今年は孫文生誕150周年に当たる記念の年でもあります。

旧香港上海銀行長崎支店「ホンシャンギンコウ」内に併設されている「孫文・梅屋庄吉ミュージアム」に足を運ぶのは如何でしょう。また、松が枝国際観光船ふ頭緑地に、辛亥革命100年を記念して、平成23年に中国政府から長崎県に寄贈された「孫文と梅屋庄吉・トク夫妻像」が設置されているので合わせて訪れて頂きたいものです。

 

☆人物紹介

 ◎ 孫文 1866中国の現・中山市に生まれる。中国における革命運動の指導者であり、辛亥革命によって建国された

   中華民国の臨時大総統。1925年、58歳で死去。

 ◎ 梅屋庄吉 1868年(明治元)長崎に生まれる。現在の日活株式会社の前身である日本活動写真株式会社の創立者の

   一人。1934年(昭和9)65歳で死去。