如己愛人(如己堂)

「ん…?ヒミコドウ」

ある日の午後のこと。サントス通りをガイドブック片手の若者がキョロキョロしながら歩いて来ます。「ヒミコドウってどこですか?」「ん!それって如己堂(にょこどう)のこと?」ということで案内しました。

 

如己堂
如己堂

 如己堂は、長崎原爆で妻の緑さんを亡くされた永井隆博士のために、1948年(昭和23)年3月、浦上のカトリック信者によって建てられたわずか二畳一間の庵です。

病に倒れた博士は、ここを病室兼書斎として二人の愛児と共に1951年(昭和26年)5月1日に43歳で永眠されるまで生活されました。

 

また、先日テレビの中で、「南天の花」の歌が紹介されていました。

永井博士の妻緑さんは、南天の花が大好きだったそうです。

緑さんが爆死した家の焼け跡にただ一つ残っていたのが南天の木。博士はその南天の木を、妻の形見として如己堂に移し替え、白く色付いた花を眺めながら亡き最愛の妻を偲んで作った詩が「南天の花」です。

その詩に感動した大作曲家の山田耕筰が曲をつけました。二人は一度も顔を合わせることは無かったそうです。「如己堂」の名は、「聖書」の一節、『己の如く人を愛せよ(如己愛人)』

(マタイによる福音書12章31節)という言葉から名付けられています。


多数の死傷者を出した爆心地近くの浦上地区の人々の心を忘れず、自分もその愛に生きようという意味が込められているそうです。

南天の花
南天の花

如己堂に隣接している長崎市永井隆記念館。

永井隆博士の遺品、書画、原稿、著書のほか、関係写真等が展示されています。

浦上天主堂からサントス通りを徒歩約8分。

長崎市永井隆記念館
長崎市永井隆記念館