「Retrospective道ノ尾駅」

 あえてタイトルに英語を入れたら自分でも「えっこれ何?」って感じ。

何のことない「レトロな道ノ尾駅」の紹介です。

 当時の長崎駅は浦上にあったので正確には浦上~長与間に運行開始はなんと明治30年(1897年7月22日)鉄道敷設の際、道之尾温泉の創始者 古田吉平氏の強力な誘致運動と献身的な尽力によって、ようやくここに駅が設けられるようになったと伝えられている。その当時、ここは全く僻地であった。

松ノ頭トンネル(1093.55m)の工事遅れで長与から大村へは海上輸送。明治31年11月27日にやっと長与~大村間が開通。(長与町郷土誌より抜粋)大正15年(1926年)から現在の駅舎のままである。

 

 1945年8月9日の原爆投下では浦上駅から当駅まで臨時の救護列車が運転された。当駅は壁が落ち、天井が壊れ、窓ガラスが飛び散り混乱したが建物自体は無事だった。

救援列車の基点として、また、駅前広場に設けられた臨時救護所の本拠地となって大きな役割を果たした。原爆投下による被災した被爆遺構でもある。

一昨年前までは周辺の空き地には雑草が茂っていた。駅周辺はいくつもの大型マンションや病院などの圧倒する高さに比べてこの駅舎だけは木造平屋作りでそのままである。長崎市と長与町に南北方向でまたがっている。駅南側の事務室は長崎市、北側の待合室は長与町の町域に立地する。

長与町に4つある駅の中で道ノ尾駅舎にはその名残が残っていました。

 

 ここは古くから人々の生活を支え、被爆の時は移送にがんばり、静かな歴史を重ねていたと思うとこのままであってほしいと願います。時間に余裕のある方は長与線に乗って駅舎をながめてください。また、長与駅からその先には12月の今頃は色づいたみかん畑とおだやかな大村湾が車窓から楽しめます。のんびりと鉄道旅はいかがでしょうか。