浦上天主堂の原爆被災

1945年8月9日の原爆投下により、爆心地より東北東約500mの地点に建っていた天主堂はわずかに赤煉瓦の堂壁を残して倒壊した。

被災後の浦上天主堂


旧浦上天主堂は、当時としては、東洋一の規模を誇る大聖堂といわれていたが、天主堂は倒壊後炎上した。浦上地区の信徒約12,000人のうち約8,500人が爆死したといわれている。

正面左手表庭に、原爆で破壊された聖人の石像が並んでいる。どれも熱線で黒く焦げ、強烈な爆風の影響で鼻、指、頭部などが欠けた痛々しい姿である。右は聖セシリア像、中央はイエスの聖心像、左の像は頭部の破壊でわかっていない。 

教会正面両横の「悲しみの聖母マリア像」は原爆で指が欠け、「使徒聖ヨハネ像」は鼻が欠けたが、破壊されず残った。

現在の天主堂は昭和34年10月鉄筋コンクリート造りで再建された。

国の史跡に指定されている長崎原爆遺跡の鐘楼 左塔(北側)に小鐘、右塔(南側)には大鐘とフランス製の大小二つの鐘が吊り下げれていたが、原爆により左塔の小鐘は大破した。
左塔の鐘楼は直径5.5m、重さ約50トンあったといわれるが、原爆によって天主堂北側の崖下に崩落した。
右塔の大鐘は奇跡的にも瓦礫の中から発堀され、再建された右塔につり上げられ、今も変わらぬアンゼラスの鐘を響かせている。

右塔にアンゼラスの鐘が設置されている

平和の聖母像

原爆投下中心地にある破壊されたた浦上天主堂の遺壁の一部