カナダの空港で白人の老夫婦を見かけた。ご主人は白髪で赤いシャツが似合っており品もあった。
私もあんなシャツが欲しいと思った。絵を描
く私は多少とも色彩に対してうるさいかも知
れないが、赤色にもいろいろあって、赤色で
あれば良いというものでもない。白人、黒
人、黄色人種それぞれにニュアンスの異なる
似合う赤色があるのかも知れないし、白人の
場合には選択出来る色幅が広いと思われる。
ちなみに地方都市に住む私などはデザインを
含めて気に入った赤色のシャツに出会う
機会が少ないのは残念なことである。
自分の出生国や人種は選ぶ事は出来ないが、仮定として選べるとしたらどうであろう。通常は赤シャツの選択の例をみても、米国に見られるマイノリティが話題になる社会を考えてみても白人に生れた方が良いのであろう。だが果たしてそうだろうか、すでに多くの人は日本人で良かったと思っていると思うし、一言で言えばアイデンティティーによるものであろうが、色々の体験からも日本人で良かったと思うであろう。
2002年にヒマラヤのトレッキングに出かけた。コースはアンナプルナのベースキャンプへ至る通称「内院」と呼ばれている所である。現地ガイドのボスと個人付セルパと私が一緒に歩いていた時私が「3人は同じ東洋人なので親しみ安い」と言ったことに対して彼らは非常に喜びその後の旅も快適なものになった。壮麗な山々を眺めながらのヒマラヤの旅は、風景も良いが現地スタッフとの信頼の交流があってこそのものである。
この例は東洋人同士の話しであるが世界的に見ても延長線上にある見方が出来そうである。私たち黄色人種は白人と黒人の中間に位置しているので、白人や黒人に比べて両方の世界を客観的に見ることが出来るのではなかろうか。この事実をもっと自覚し自信をもってグローバル社会の中で生きて良いのではなかろうか。 By Ginga Taro