「金剛院の坂」の上のお雛さま

 思案橋電停から老舗の「ステーキハウスおかの」の脇を右折すると小さな路地に「金剛院の坂」がある。わずか43段ではあるが江戸時代のままの敷石が当時をしのばせる。

 坂段を上がるとそこはもう丸山の北の玄関である。

江戸時代、その玄関の右側に金剛院如意輪寺というお寺があった。「金剛院の坂」という名称はお寺に由来する。お寺は明治維新の廃仏毀釈で大崎神社となったあと敷地が割譲され二宮病院という大きな洋館風の木造2階建病院が神社横に建てられた。病院も昭和初期に廃院となったものの形を残したままアパートとなった。

アパートといっても各病室を改造したものであり、各住居の間取りは大小バラバラ、天井は高く板張り廊下は広く黒光りし歩くたびにミシミシと音がし昼間でも薄暗く、夜共同トイレに行くのは子供にとって怖いものだった。

 しかし、昭和30年前半、表玄関を一歩出ると「おい木村さん信さん寄ってお出よ、お寄りといったら寄っても宜いではないか」と、樋口一葉の小説「にごりえ」の冒頭のことばが甦るそんな粋な客引きの声が毎日聞こえていた。

ときには、芸妓さんを乗せどこかのお座敷へと向かう人力車もみかけた。そこには華やかな花街の世界があった。あれから数十年、丸山はひっそりと時代の流れの中へと仕舞われ、アパートもとっくに駐車場となり、大崎神社も管理上、年に数回しか拝観できない。

大崎神社境内 公民館
大崎神社境内 公民館
大崎神社通り           アパート跡地
大崎神社通り           アパート跡地

ただ、3月の節句の期間、大崎神社で「寄せ雛まつり」が開かれている。 500体以上のお雛さまが公民館の1,2階全部を所狭しと埋め尽くしているのは壮観である。ボランティアの人達でこの期間のみ展示されており拝観無料である。このお雛さまがむかし華やかだった花街の世界をなぜか彷彿させるのである。


日本全国から無償提供されたと聞く。数年前に拝観したが、展示管理するのがたいへんとお聞きした。この先も金剛院の坂の上で「お雛さま」に会うことが叶うと良いのだが・・・