それは諫早市伊木力ダムの近くのみかん山にあります。千々石ミゲルは天正遣欧少年使節団の一人で、雲仙市に千々石ミゲル(千々石清左衛門)碑があります。なのにどうしてお墓がそんな所に?と思われるでしょうね。
私が最初に知ったのは平成15年頃テレビのニュースでした。最近発掘調査が行なわれたそうですが新しい情報は出てこなかったようです。
よって看板はまだ「千々石ミゲルと思 われる」のままです。
行くのは2度目ですが、ウオーキング仲間と散策して来ました。
伊木力支所にて「大村史談」第55号別刷 大石一久氏の「千々石玄蕃」建塔墓石の事について書かれた冊子を頂きました。その中に詳しく書いてあります。
平成15年千々石ミゲルとその子孫の調査をされている埼玉県在住の
宮崎氏からの依頼で、調査が始まったそうです。大きな自然石碑
(高さ180cm 横最大値120㎝)とそこの前と後ろに彫られてい
る少ない情報をもとに調査の結果、表は千々石ミゲルと妻の戒名
裏は千々石ミゲルの4男ということが分かったそうです。
千々石ミゲルは天正遣欧使節団の一人だと華々しく語り継がれていますが、帰国後は棄教、大村藩から裏切りものとされたり後半生は大変だった事。そのため情報も少ないのではと書かれています。 どうして伊木力かという事は、伊木力は江戸時代は大村藩であり清左ヱ門(ミゲル)が食禄を賜った所、そして大村に恨みを持って死んだので大村の見える所に睨みつけるように葬ったという伝承があるそうです。
諫早市公式ホームページに詳しく紹介されています。